長崎・下五島(3) 軍艦島に上陸~! [ぶらり]
さあいよいよ憧れの軍艦島へ上陸です!
ドルフィン桟橋に横付けした船から、順番に下りていきます。
波高50cm以上だと上陸できなかったとのことなので、ほんとラッキーでした。
桟橋からつながる通路を通り、いよいよ入島でございます!
皆口々に興奮の言葉を発していますよ!
ちなみに、上陸に当たって、島の所有者である長崎市宛の「誓約書」を提出します。
いろいろと注意事項がかいてあるものです。
さあ、見えてきました。写真集でよく見た光景!!
掘った石炭を運搬するベルトコンベアの足部分です。
その奥の山の上に三角屋根が見えるのは、端島の守り神でもある「端島神社」の祠。
炭坑の神様「大山祇神(おおやまつきのかみ)」、金比羅様が祀ってあったそう。
端島神社の祠の左側には島で一番高い建物。
炭鉱の幹部職員用の社宅(昭和34年(1959))です。
屋上からの眺望は最高だったことでしょう。島唯一、内風呂のあった建物でもあります。
幹部職員用の社宅から続く緑の岩山、このあたりが、軍艦島が埋め立てられる前のオリジナルの島の形だそうです。
ちなみに軍艦島の大きさは、480mX160m。周囲たったの1.2kmしかありません。
元々の島はその1/3でした。
それにしても蒸し暑い!!! 汗が次から次へと噴出してきます。
第二堅坑跡です。
男達はここからエレベーター状の箱に乗って地下600mの過酷な仕事場に降りていったわけです。
煉瓦の建物は鉱業所の事務所。
壁一枚だけが残っているので、次台風が来たら残っているかどうか。
その奥が鉱員風呂で、3つの浴槽の一つ目は炭で真っ黒な水だったそうです(しかも海水)。
3つめの浴槽でやっと真水の湯船に浸かれたんだそうです。
水がとても貴重なのは離島の常ですね。。
島の周囲の防波堤は,海草ののりで石を固めた作り。これが度重なる台風の攻撃に
耐えて残っています。 昔の工法のすごいところ。
炭鉱のエリアから、人の住むエリアへ移動です。
日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」(大正5年(1916)築)
7階建てですが、もちろんエレベーターはありません。
ちょっとだけ自分が子供時代に住んでいたアパートに似ていて懐かしかった。。
アパート郡は、互いに渡り廊下で他の建物とつながっていて、屋上は公園や菜園になっていたそうです。
周囲1.2kmの小さな島は上へ上へと延びていったわけですね。
父親は地下600m。子供達は地上7階の屋上で走り回っていた、そんな日常だったようです。
奥には映画館、美容院、パチンコ屋、飲み屋、店舗などがあり、ここで全てが完結しています。
奥様方はブランド物を着飾ってお買い物に出かけていたそうですよ。
古い写真を見せていただくと、奥の階段のところは沢山の人が往来している繁華街だったのがよくわかりました。
周囲1.2kmの空間にぎっしり建物が並ぶ小さな人工島、軍艦島。
35年前と同じ時間で止まっている空間にため息が出っぱなしでした。。。。
次は島の周囲をぐるりと船で廻りましょう!
つづく。
過去ログ
長崎・下五島(4) 軍艦島ぐるり一周!
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長崎・下五島(1) 長崎についたど~!
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